彦根駅前周辺・彦根の総合観光情報  PLAT HIKONE updated 2018-01-22



江戸時代1687年彦根藩で牛肉の味噌漬けを考案したのがブランドとしての近江牛の始まりと言われています。


それ以前にも室町時代から近江の牛肉の話が各地に伝わっていますが、今の近江牛の原型になったものとして、この味噌漬けが広く知られています。温暖で作物の豊富に穫れる近江では良質の肉牛を飼育するのに適した環境が揃っていたのです。


御城使寄合留長:彦根藩の近江牛のレシピ。干し肉の製造方法が記されている。

寒中に肉を割き筋を取り去り、清水に漬けて臭気を抜き、蒸してから糸につないで陰干しする。寒中でなければ、寒明けの頃でも塩を加えなければ痛んでしまう。温暖な季節でも塩を多く使用すれば製造できるが、薬用としての性味が失われ、御用に立たない。」 と書かれています。



江戸時代には、牛肉は彦根藩において味噌漬け、又は干し物として食されていました。味噌漬けは「反本丸(へんぽんがん)」と称したと伝えられています。つまり薬のようなものだったわけです。

今にも残る当時の書物には「黄牛の肉は佳良にして甘味無毒、中を安んじ気を益し、脾胃を養い腰脚を補益す」との記述があることから、補養薬として製したものと考えられます。当時、儒教の倫理観が広く受け入れられていたため公然と肉食をすることができなかったので薬という名目を使ったのかもしれません。

幕末には水戸藩の徳川斉昭の井伊直弼に宛てた礼状が残されており、その中で斉昭は度々近江牛を贈って頂いたお礼を述べるとともに「薬用にも用いかたじけない」とその効用に付いても記しています。後に将軍跡継ぎ問題、安政の大獄、桜田門外の変等で激しく対立する両者の中では大変めずらしい資料といえます。



江戸時代、彦根藩で生産された干牛肉は、塩加減をできるだけ少なくするため、1年で最も寒い1月上旬から節分までの1か月間で作られていました。従って春から夏にかけて農業を行い、秋の刈入れの後の寒い時期の仕事として干し肉の製造が行われていたようです。



現在では神戸、松坂の二つの産地とあわせ、日本の三大和牛の一つと言われています。主に県内の蒲生・神崎・愛知(近江八幡市、東近江市、竜王町)において肉牛が飼育されています。他の産地の肉牛と比べ、肉の繊維や霜降りのきめの細かく口溶けの良い肉質だといわれています。

近江牛の定義には厳しい審査がありその中でさらに枝肉格付けがなされ5段階に及ぶ肉質等級が決められます。

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